アマテル神(天照大御神)の詔のり
健康食(スガカテ・清食)の勧めと万物創成の五化元素
天も地ものどかに移ろい世は全て事もなく静かに晴れた一日、アマテル神は皇子(みこ)のクスヒ(クマノクスヒ 現・熊野牟須美、熊野本宮大社、第一殿祭神)を伴ってフタミカタ(現・二見の浦、三重)の海岸に御幸されました。
親子揃っての久々の遠出で、眼前に突然開けた大海原から次々と打ち寄せる潮(うしお)に二人は身を沈めると、太陽と月の限りなき鼓動が親子を優しく包み込み、身も心も洗い清められて聖なる禊(みそぎ)を済ませました。
この時、お伴のクスヒはふと素朴な疑問を覚えて、すぐ父に尋ねました。
「父ミカド(御門)は、いつもヤフサクルマ(八房御輿、八角形の神のみこし)に乗られて御幸する日本一尊い神様なのにどうして禊(みそぎ)をなさるのですか。神様でもやはり穢れるのでしょうか。」
この時アマテル神は、我が子の微笑ましい質問に思わずにっこりされ、かたわらに侍る皇子(クスヒ)とモロカミ(諸神)に向っておだやかに詔のりされました。
「汝、ヌカタダよ(クスヒの真名・いみな)、皆も良く聞きなさい。私は生まれながらにして心身ともに無垢(むく)な玉子の姿でこの世に遣わされました。出生の時に一片の垢(あか)も無く、天神から尊いタマノオ(魂緒)を下された命なので、ココロネ(心根)は常に清く穢れを知りませんでした。しかし悲しいかな、チョロチョロと這いずり蠢(うごめ)く民(たみ)を見るにつけ目も穢れ、ずうずうしく悪賢い陳情に耳も穢れ、偉そうで鼻持ちならぬ教え草を度々聞くにつけ、その愚かさを戒(いまし)め諭そうと心を痛めるうちにいつしか心身ともに疲れはて穢れてしまいました。
私は今、寄せては返す荒波に身を委(ゆだ)ね、ムハシ(六根、目・耳・鼻・口・身・心)の垢を濯(そそ)いで心身ともに清らになり、今やっとヒオネ(太陽の根本)に帰り再び神の姿を取り戻しました。」
アマテル神はここまで話し終えると、やっと神の心を得たかの様に並み居る諸神諸民を優しく見回して静かにうなずきました。今はもう君の言葉に心を寄せる民のささやきも消えて、ただ荒磯を洗う怒濤の息吹だけが皆の心を打ち続けていました。
君は皆の熱き思いに促(うなが)される様に再び力強く話し初めました。
「それでは清く正しく美しいカンカタチ(神形)を保ち、健康で長生きするスガカテ(健康食・清食)の話しをしましょう。
何よりも忌(い)むべきは獣肉や鳥を食べることです。もし人がケシシ(毛の生えた獣)の肉を嗜(たしな)むと己の血や肉も汚れて、たとえ一時は精が付いた様でも実は動物の悪い精が付き過ぎ筋肉が固く凝(こ)り縮み毛も抜け落ちて病となり苦しんで早死にします。例えれば、濁水が乾くと後に汚泥(おでい)がこわばり付く様に、獣肉も食べると動物の汚れた血が全身にへばりつき己の血も汚れて健康を害しついには病に倒れます。
常日頃、新鮮な野菜をたくさん食べなさい。特に清浄な野菜は、太陽の光をいっぱい含んだ緑の恵みで、地上にさんさんと降り注ぐ光は蒔(ま)かれた太陽の種(分身)です。青野菜を食べれば、病に弱って黒く濁った血も再び赤く透き通った太陽の輝きを取り戻し、ここ二見の浦の御潮(みしお)の様に力強い生命を宿します。
私は常々、この国を幾世に渡り担(にな)ってきた臣も民をも分け隔て無く、天の賜物として我が子の様に慈しみ、皆がいつまでも豊かで健康に長生きするよう祈ってきました。
今こそ、人が健康で天寿を全うする為に食物の良し悪しを見分ける知識をはっきりと持たなくてはなりません。我々は常に天地創造の初めに帰り、天・地・人の根元を良く知ってこそ真に人の命の尊さを悟り、天から与えられた命を全うすることが出来るのです。」
「さあモロタミ(諸民)も共に良く聞くが良い。」
「太古、天地開闢(てんちかいびゃく)の初めに、アメミオヤ(天御祖)神はまだ天も地も人も分かれる前の渾沌(こんとん)としたアワウビ(エネルギー、カオス)の中に初(うい)の一息(ひといき)を吹き込みました。やがて宇宙は静かに丸く動いてメ(陰)とオ(陽)に別れ、オ(陽)は軽く昇ってアメ(天)となり、メ(陰)は重く中が凝(こ)ってツチ(地球)となりました。
オ(陽)の気をウツホ(空)と名付け、やがてウツホ(空)が動いてカゼ(風)を生み、カゼ(風)も変化してホ(火)と別れ、ウツホ(空)、カゼ(風)、ホ(火)はオ(陽)の三化元素となり物の形を現して後に元のアメ(天)に登りました。さらにウオセ(太陽勢)のムネ(宗、中心の意)はヒノワ(日輪)となり、イメ(大陰)のミナモト(源、水の元の意)はツキ(月)となりました。
一方ツチ(地球)はハニ(土)とミズ(水)に分離して二化元素となり、かつハニは自ずと山里となり、ミズ(水)は海や湖を造りました。ハニ(土)は又、土中のウツホ(空気)と混成し、清く美しい部分が結晶して玉(宝石)となりました。山岳地帯の清い土もウツホ(空気)が良く浸透してアラガネ(鉱石)となり、土は化けてただの石となりました。
鉱石の中でもウツホ(空気)が勝る物は錫(すず)や鉛(なまり)に結晶し、清いハニ(土)の勝る部分はキガネ(黄金)を生み、ミズ(清水)の勝る物はシシロガネ(銀)と成り、ウビニ(泥土煮)はアカガネ(銅)に変わり、バ(濁泥)はクロカネ(鉄)になりました。その鉱物の色どりはさまざまで、丁度、ハギ(現・山吹)の花は黄で黄金色、キリ(桐)は白で銀色、ヒノキ(桧)は黄赤で銅色、クリ(栗)は黒く鉄の色の如しです。
さあ、今こそ山から大量のアラガネ(鉱石)を掘り起こせ、タタラ(踏鞴、古代和鉄製錬)炉を大いに築きフイゴ(送風具)で強風を送れ、五色花咲くタタラ(精錬)なすのだ。
ウツホ(空)から恵みのミズ(雨水)を受けて大地(土)の植物は生い繁り大切な食物(三化)を育てて人々を助けます。その中には有益な薬草もあります。時にウツホ(空)の気は長寿の助けとなりますが、ミズ(水)は身体を冷やし健康を害することもあり、バ(汚染土)の土地は水も悪く血の循環を害して早死する民もあります。この様に正に花も果(身)もみな天の御心のままに移ろい係わって循環します。
又、ミツ(三化)の植物や魚類には食べるべき物が多くありますが、フヨ(二化四化)の鉱物や動物は食べません。宝石の場合、フ(二化)は結晶した姿で多く産出しますが、他の鉱石は精練して有用な金属となります。
ミズ(水)を含む草木を餌(えさ)に群れ住むミツナ(三化名)の虫は本来鳴きませんが、カゼ(風)の気を含んで美しく鳴く虫となりこれは空を飛ぶ虫も地中の虫も同様です。
ウツホ(空)とカゼ(風)、ホ(火)、ミズ(水)の四気が化成して生じたのが鳥類(四化)で、その中でもウツホ(空)が勝っている鳥は良く空を飛び、カゼ(風)の勝る鳥は美声で囀(さえず)り、ホ(火)の勝る鳥は良く水に泳ぎ、特にミズ(水)に勝る鳥の羽は柔らかで上等な羽二重(はぶたえ)の原料となります。
ハニ(土)とミズ(水)、ホ(火)、カゼ(風)の四気が化けて生じたのが畜獣(四化)で、その中でもカゼ(風)、ミズ(水)に片寄る獣をミコエ(三声・音)でよび、キツネ、タヌキ、ウサギ、ネスミ等と言います。又、ホ(火)とハニ(土)に片寄る獣はフタコエ(二声・音)で表し、イノ(猪)、マシ(猿)、ムマ(馬)、ウシ(牛)、シカ(鹿)、エヌ(犬)、クマ(熊)です。ヨツナ(四声名)の獣も同様で、カワウソ、ムササビ、カモシカ等がいます。
月の滴(しずく)が降って露となり草木を潤し、集まって川の流れとなります。後に川の水(液体)はウツホ(空気)に接して蒸発し空高く昇って雲(気体)となります。その雲の姿は正に千歩の天に駆け昇る大地の息吹を思わせ、ある雲の形は天を被(おお)う毬栗(いがくり)が弾(はじ)けた様で、又ある雲はてんこ盛りのめし(御飯)の形のもあります。
天に浮かぶ雲までの距離はなんと十八トメジの彼方です。
(一例、地球の直径12,756km ÷ 古代地球直径114トメジ ≒ 1トメジの距離約112km. 18トメジ × 112km =雲までの高さ2,016km ミカサフミ・タカマナルアヤ129頁・松本善之助監修)
空から雲が半ば重く垂れ下ってくると、地上の草木の芽が雲に向って呼びかけ求め合って雨になり地上に降り注いで川となり元の水(液体)の姿に戻ります。
冬になると雨水も寒風に吹かれて雪となり氷(個体)りつく様になりますが、再び春の暖かいオ(陽)の気を受けると溶けて水に戻り流れます。
ヨルナミ(夜月霊)を受けて化成した大海原(水)のうしお(潮)を焼いて造る御塩(みしお)は、特に浄化力に勝れて「祓い清めの塩」として重要なうつわ物(神饌)の第一です。人は塩を毎日食べ、塩を撒(ま)いて悪霊(あくりょう)を防ぎ、塩を盛って家の門口を守るのも、皆ヨルナミ(夜月霊)の霊力により身の垢(あか)を免れるからです。
水中(ミズ)で土(ハニ)を多く含み火(ホ)に勝るのは貝類(三化)で、水(ミズ)に空(ウツホ)を受けて泳ぐ火(ホ)成る物は魚類(三化)です。特に鱗(うろこ)有る魚は食べて旨(うま)く身を清める栄養源ですが、ホ(火)の勝る鱗(うろこ)なき魚は臭くて食べられず勧(すす)めません。」
。。。。。以下省略(15-20〜15-30)、別掲参照。稲荷信仰とキツネの由来(人糞リサイクル農法の草分け)15アヤ。
アマテル神は疲れも知らずなおも語り諭し教え続けました。天と地と人の幽玄な五化元素の係わりと、神が与え下す尊い人命を守る食物の話しに増々力が入っていきました。
「モロタミ(諸民)もしかと聞きなさい。日常の食物で最も優れ物はゾロ(米・ぞろぞろ、ぞろ目、ぞろっと等、揃うの語源)が一番です。さんさんと降り注ぐ太陽の精気と、月の水の精華が結ばれたのがヒヨウル種(水稲)で、太陽と月の恵みの種(米)を同時に食べる者は幸いです。二番目に良いのが鱗(うろこ)の有る魚で、次は鳥ですが鳥はホ(火)が勝ち過ぎて、人は力が付くと思い込んでいるがこれは大間違い、不幸にも鳥をたくさん食べたほとんどの人は遅かれ早かれ病となり死んでゆくのだ。この事を譬(たと)えれば、灯火(ともしび)の火をもっと明るくしようとむやみやたらに灯心を掻き立てて、末は我が身の油を早く使い切って命を縮めるのと同じこと。注意しなさい、ホ(火)の勝つ鳥を食べると身を滅ぼしますぞ。
最も恐るべきは誤ってミテ(三字・璽)の獣を食べる事です。食べたとたん己の血肉が凝(こ)って縮み、身の油を減らしながら空肥(からぶとり)して頭の毛も脱け落ちやがて早死にするぞ。やむないこんな緊急時には、二ヶ月半の間イミヤ(忌小屋、酒肉を禁じ沐浴する室)に籠(こも)ってスズシロ(大根の別称)を大量に食べよ。いわんやフテ(二字・璽)の獣を食べた者は、たとえ生きたとてその臭さは腐る屍(しかばね)同然、これを生き腐れの毛枯れ(けがれ、汚れの語源)と言うのだ。この者は神の恵みも断たれて救い難く、三年間イミヤに入れスズシロ(大根)を大量に食べさせて体毒を消し、薬にシラヒゲ(白髭、芹・せり)とハジカミ(しょうが又は山椒・さんしょう)を与えて徹底して身の不浄な垢(あか)を濯(そそ)げよ。やっとまともな人に戻るのだ。」
「つい昨日の事だが、たまたまスワの神(現・諏訪大社祭神、建御名方・たけみなかた、長野)が山深き国からはるばるやって来て願い出るには、
「シナノ(信濃・長野)は大層寒く魚も多く取れません。特に雪が深い厳しい冬は飢えて凍(こご)え死にする者も少なくなく、民はやむなく魚の代わりに鳥獣の肉を食べて寒さを凌(しの)いでいます。どうか食べ物の乏しい冬場だけでも肉食をお許し下さい。」
「ならぬ、邪食はならぬ。今ここでシシ(四足、獣)を許せば、民は皆汚れて病になり国の平和が乱れるぞ。アイモノに四十種も魚があるではないか(あいもの、四十物、塩又は乾魚の語源)。魚を食べよ。これとて食後三日の間はスズナ(菘・蕪 かぶ)を食べ良く身の毒を消すのだ。もし誤って水鳥を食べた者は二十一日間スズナを食べ身の汚れを祓えよ。今この場で世の鳥獣食を固く戒(いまし)め禁止する。すぐに掟(おきて)を厳しく改め、天下あまねく法(のり)を触れよ。」
「たとえ間違いで鳥獣を食べ、(どおせおれは人間の屑だから、こんな命なんか惜しくもない)とうそぶいたとて、その者の血は確実に獣の血に汚染されて肉体も既(すで)に腐って死んだも同然だ。獣の悪い霊を受けてタマノオ(魂緒、人の魂(タマ)と魄(シイ肉体)を結ぶ命の緒)が乱れると魂魄(たましい)も共に乱れ、苦しんだ後に死した者の霊は天上サゴクシロ(精奇城)の元宮(死者の霊が帰る大元宮)に帰れぬぞ。恐ろしい事に天国に帰れぬ者の魂魄(たましい)は巷(ちまた)に迷い、浮かぶ瀬もなく彷徨(さまよ)ったあげくの果てに安易な獣の霊と求め合い、ついに人間界を離れて獣の世界へ消えて来世は獣に生れるぞ。鳥や獣は四化元素で生じただけで一化元素が足りず、ヒウル(日精)もツキナミ(月霊)も無く動物界に落ちると二度と人に戻れぬぞ。」
「ゾロ(米)こそが日月(ひつき)のウルナミ(日精、月霊)が化成して出来た完全食品です。人は古来より米を何より大事に育てていただき(食べ)命の糧(かて)にしてきました。
ここではっきり答えよう。
人は獣と違って空、風、火、水、土、の五化元素が化成して生じた故に、特別に日月の精霊を受けてナカゴ・ココロバ(心意)を有して生れます。これゆえ、一生を素直に生き、己の本分を良く守って努力し、人の模範となり死を迎えた人は、特に天神の神意に良く適(かな)い、神はこの者が獣の世界に迷い込まぬ様に天の元宮に帰るまで見守り導いてくれます。
我が日常の御食(ミケ)には、誰も食べようとしない特別のチヨミ草(千代見草、不老長寿の仙薬)があります。この菜は世人の言う苦菜(にがな)より百倍も苦い食物です。私はこの千代見草の食事のお陰で他の人より百倍も長生きして、今日まで民が健康で豊かにあれと祈りつつ生きてきました。私は既にチエ(千枝)のスズキ(鈴木、天真榊・アメノマサカキ・六万年目に千枝(チエ)となり枯れる古代暦)が四度枯れて変わるのを見届けて来ました。(60,000年 × 4度 =240,000年)
我が身も今年二十四万歳になるが、今だ盛りの杜若(かきつばた)の様に壮健で美しく生きています。後の世の百万年後も私は長生きして国民の行く末を見守るでしょう。」
「クスヒ良く聞きなさい。ココリ姫(菊理姫・くくり姫、現・白山姫神社祭神、石川)が語るところによると、遠い古(いにしえ)の昔、クニトコタチ(国常立、天神一代目)は地球の八方の地を巡り廻って西方の地に至り、彼の地の荒野を苦労して開拓してクロソノツミ国(玄圃積国・ゲンポ、崑崙山にあるという仙人のいる地)を建国しました。元々この地方全体を力(夏、中国)と通称していたところから、一般にアカガタの神州(赤県神州・せきけんしんしゅう、中国の古名)と呼ばれる様になりました。後にクニトコタチの三代目に当たるトヨクンヌ(豊斟渟、天神三代)はカ(夏)の地の民との間に一子を儲(もう)けて代々その国を治めてきました。ところが長い年月を経るうちに神代の神典アメナルミチ(天成道)の教えも風化し尽きて、地理的環境から風俗習慣はもとより食物や言葉まですっかり変わってしまいました。
トヨクンヌの血筋を引いた子孫のウケステメ(西王母の真名・中国に古く信仰された女仙)はアメナルミチ(天成道)の衰えを深く案じて、遥かに遠い崑崙山(こんろんさん)の麓(ふもと)からはるばる大陸を横断して海を渡りコエネ(扶桑北国、現・白山、北陸)の国にタマキネ(伊勢外宮祭神 豊受神の真名)を慕(した)って来朝し、実父の様に仕えて孝行を尽しました。君(豊受・東王父、中国の伝説上の仙人、西王母と対置される)はウケステメが一心に良く仕えたので心底から感動し、ついにココリ姫(菊理姫)の義理の妹として契らせて両人にヤマノミチノク(神仙の道奥、陸奥の語源)をヤマテ宮(仙台宮、仙台、宮城)に於て授与しました。大層喜んで帰国したウケステメは、後に彼の地でコロヒン君(崑崙王、こんろん)と結婚して愛の一子を儲け、その子の名をクロソノツモル(玄圃積)王と命名しました。ウケステメはコンロン王の后となって皇子に恵まれ、クロソノツモル王を擁立(ようりつ)した後にニシノハハカミ(西王母)と呼ばれるようになりました。
ニシノハハカミ(西王母)は、再び苦難を押してコンロン(崑崙)山の本宮から来朝してトヨケ(東王父)の君に再会を果たすと、思いの丈(たけ)を一気にぶちまける娘の様に、救い難き国情を涙ながらに訴えました。」
「コロヤマ(崑崙山本)国の民は愚かにも、シシ(獣肉)を日常好んで食べ肉の味を嗜(たしな)んでいます。日々の肉食に汚れた国民は皆短命で、百歳か長くて二百歳位で亡(な)くなります。稀(まれ)には、たまに幸運に恵まれた千歳、万歳の神もいるにはいますが、私がいくら肉食を止めるよう禁じても長い悪習はすぐには止まりません。なんとか人々を長生きで清い神ながらの道に戻したいと日夜悩み心配しています。カ(夏)の国にシナ(支那)君という王様が現れて久しくなりますが、聞くところによるとシナ君も又、チヨミ草(千代見草、不老長寿の仙薬)を尋ね探し求め今だ入手出来ず常々嘆いています。どうか私の国の民に健康と長寿のオクノリ(奥法)をお授け下さい。」
「私はこの哀れむべき話をトヨケ(豊受)からも聞くに及び、早速我が汚れし耳垢を払うべく禊(みそぎ)して心身を清めました。
思えば我が民の、天成神道(アメナルミチ)を奉じてゾロ(米・稲)を植え、健康で長生きする姿を見ることこそ我が最良の喜びであり長寿の秘訣です。私は彼の民の嘆かわしい早死にを聞き共に心を痛めると、我が長寿のミチノク(道奥・奥義)であるアマナリノミチ(天成神道)を西王母に授けました。」
「クスヒよ、皆の者よ、この言葉を良く聞き、諺(ことわざ)にせよ。」
「たとえば、己は人生を十分楽しんだからもう何時(いつ)死んでもいいと言って、天から与えられた命を真っ当に生きず天命を待たずに身勝手な早死にをすれば、いずれタマノオ(魂緒)が乱れ苦しんで天の元宮にも帰られず獣に落ちるのだ。よわい(天寿)を大切に保ち美しく年老い召されるまま天に帰る時は苦しみも無く楽しんで死を迎えるだろう。
これココナシ(菊)の花は、冬を静かに待って自然に枯れ行く日まで香わしく匂い続ける様に、人の身も同じくケシシ(獣肉)を食べず我が説くスガカテ(健康食、清食)を守って食べればヨロホ(万歳)の寿命を得て夢見る様に楽しく生き、死に際にはココナシ(菊花)の香しい匂いに包まれ神に迎えられよう。菊花の如く清く正しく美しく生きた者のなきがら(亡骸)はすでにカンカタチ(神体)であり、宮に安置した御霊(みたま)は菊香と共に昇華して天に送られよう。(古代約3000年前、仏教渡来以前は宮(やしろ)が葬祭場でもあった。)
これに反し汚肉(ガシシ)を食べた者は腐る屍の如く臭く魂の緒も乱れ、もはや邪食を絶つにはアライミ(潔斎、けっさい)をして心身を清めるのみなり。
ウル(米、うるち)は日の種、ナ(菊菜)は月の御種ゆえココナ(菊菜、古代九月をココナ月と言い後世ナ(菜)音だけが残り、ナガツキ(長月・菜が月)となる・語源)を食べれば人の両眼が良く見える様になるのも、日の精(左目)と月の霊(右目)がお互い輝きを増幅し合い眼の玉がより清く明らかとなるからである。
天成道(アマナリノミチ)を素直に行く人は、丁度ココナ(菊菜)が日月の陽と陰に感応して助け合う様に、神と人が天地に感応して神は人を助けるだろう。
この故に、私がココナシ(菊)の花を常々愛(め)で尊ぶ由縁がここにあります。」
終り
- 出典
- ホツマツタエ(国立公文書館蔵)
秀真(ほつま)政傳紀(和仁估安聰訳述)
- 訳
- 高畠 精二