イサナギ・イサナミの御子誕生

 天神六代目を嗣いだオモタルの神は、妻のカシコネと一緒に力を合わせて国の八方を巡幸し、農業開発の指導をして国民の糧を増やしつつ、さとしてもなお逆らう賊共に対しては敢然と逆矛を持って打ち滅ぼし国の平和を計りました。

 淡海(オウミ)の安曇(アツミ)川の中州に国の中柱(なかはしら)を建て、ここを沖壺と名付けて起点とし、東方は日高見(ヒタカミ)国から、西は月隅葦原(ツキスミアシハラ)国、南に転じて阿波(アワ)から素佐(ソサ・紀州)へと歩みを進めて、北は北(ネ)国(北陸)から山本細矛千足(ヤマトホソホコチタル・山陰地方)国まで開発と平和維持に尽くしました。しかし最後まで嗣子に恵まれなかったばかりに、せっかく統一なった豊かな国も次第に乱れ秩序を失っていきました。

 そんなある日の事です。天神からイサナギとイサナミの両神(ふたかみ)にお達しがありました。
 「沖壷の葦原には千五百反にも及ぶ秋の実を約束された良い水田があるから、ここを起点に全国を統一し、天神七代目を嗣ぐべし」
 又、クニトコタチから連綿と受け継いだ瓊の璽(トのオシデ・天成道を記した宝典)と、逆らう者を滅ぼす矛とを賜わり、「汝、これを用いて国を治めよ」との詔がありました。

 後に両神は仲人の事解雄(コトサカノオ)の浮橋(橋渡し)を受け入れ夫婦となり、手初めにその浮橋の上に立って授かった矛で下界を探り手応えを得て後、したたり落ちた滴(しずく)で占い、クニトコタチの秘儀のオノコロを契って、良い場所を決めて宮殿を造営しました。ここから大日本国(オオヤマト)を再び平和で豊かな国へと再生しなおし、その間山海の万物をも生み育て、又、夫婦あい和して人々の訛った言葉を正すために音声の訓練にアワ歌を教えて全国を巡り、人の道を教え広めながら養蚕法も伝えて生活改善にも尽くしました。

 いったん乱れた秩序を再び回復させて国を再建し、功(いさお)しを立てて神代の七代目を継いだそもそもの糸口は、クニトコタチの神が木の実を東国に行って植えて、その地で生んだ子供の名をハゴクニと言い、そのハゴクニはヒタカミの国を建国し、この地に天上の高天原(タカマガハラ)の四十九神を歓請して、初めて地上の高天原(タカマガハラ)にアメミナカヌシを祭りました。ここにクニトコタチの理想郷のシンボルの橘(たちばな)の木も植えて、生んだ子の真名(イミナ)をキノトコタチと言います。諸民は神聖な高天原を嗣ぐ御子の誕生を心から喜び、ヒタカミ国を統べる(結ぶ)タカミムスビの名を捧げて称えました。キノトコタチの子はアメカガミ神と言い、筑紫(ツクシ)を治めました。

 天神四代目のウビチニが生んだ子のアメヨロズ神はタカミムスビを継いで素阿佐(ソアサ・四国地方)国を治めて、アワナギとサクナギの二子を儲けました。アワナギは北陸(ネ)の白山本(シラヤマト)国から細矛千足(サホコチタル)国(山陰地方)までを、法をもって治めました。アワナギの長男の真名(イミナ)をタカヒトと言い、幼名はカムロギと言います。

 タカミムスビ家の五代目を継いだ真名(イミナ)タマキネは豊受神(トヨウケ)とも言い、六代目にして滅びた天神の皇統を何とか復活したいと願い、娘のイサコとアワナギの子のタカヒトとを結ばせて七代目を継がせようと考えます。最初ハヤタマノオが二人の間にウキハシ(仲人役)を渡そうと試みますが失敗します。次にコトサカノオが慎重に国の危機を二人に説いて聞かせて橋渡しに成功しました。
 両神は方壷(ケタツボ・仙台多賀城市付近)から西南の方向のツクバ山の麓を流れるイサ川から少し離れたイサ宮でお互い縁結びをして、イサ宮に因んでイサナギとイサナミを名乗り即位しました。

 それはツクバのイサ宮でのことです。ある日の事、男神が女神に体調(生理)をお聞きになりました。女神がお答えになり、「私には成り成り足らぬ陰元(メモト)という処がございます」男神が答えて言いました、「私には成りて余りある物があるので、これをお互い合わせて御子を生もうじゃないか」

 この後、両神は御殿(みとの)で交合(マグバイ)をなして子をはらみ生まれた子の名を、昼に生まれたので昼子と名付けました。しかしながらこの年父の年は四十才、母が三十一才で二年後には天の節目(厄年)に当たり、この節目に悪霊が宿ると、女子には父の汚穢(おえ)が当たり、男子は母の隈(くま)となると恐れられていました。
 まだあどけない三才にもならない、いとおしいヒルコ姫は、イワクス船に乗せて捨てられました。下流では住吉神のカナサキが待ちかまえて拾い上げ、妻のエシナズと共に西殿(西宮)で育てました。

 この後、イサナギとイサナミの二柱は、浮橋の上でオノコロの印相(いんぞう)を契って後に建てた八尋殿(ヤヒロノトノ)に立つ天御柱(アメノミハシラ)をお互い巡って男の子を生もうと話し合いました。
 先ず言挙(コトアゲ)の儀式に、女は左廻りに男は右廻りに別々に巡り、お互い出会い頭に女神は、「アナニエヤ(なんとうれしい)良(え)男(おとこ)」男神は答えて、「ワナウレシ(わあうれしい)良(え)乙女(おとめ)」と相歌い一緒に交わってはらんだものの、その子は月満てず流産してしまいました。その子の名前をヒヨルコ(未熟児)と言い、泡の様に流れ去りましたので、この児は子供の数には入りません。葦船に乗せ、吾が恥と流した先を淡路島と呼びました。

 この不幸な出来事を天神に告げ相談したところ、早速太占(フトマニ)を占って天意を伺っていわく、「先の五(イ)・四(ヨ)の歌は事を結ばず。と卦(け)に出ている。又、言挙(コトアゲ)も女が先に立ってはいけない」との神託があり、なお続けて嫁法(とつぎのり)についてのお話がありました。
 「トツギと言うのは、そもそも古来からの言い伝えによると、二羽の一つがいのセキレイが知らせてくれたものと言う。先ず雌鳥(めんどり)が尾を揺り動かして鳴き、その時は雄鳥は一声鳴いて飛び去ってしまう。又ある日今度は雄鳥が誘うような態度を装うと、雌(め)がそれを悟って合い交われば、これは天からの啓示で鳥に告げさせたので鳥告法(トツギノリ)と言うのである。この話が後に嫁ぐという語源ともなったのだ」

 両神は改めて宮に帰ると、新たに御柱(みはしら)を巡り直しました。男神は左廻りに、女神は右廻りに巡り合った時に先に男神が天(アメ)の天地(アワ)歌を歌いました。
 「アナニエヤ(ああなんてうれしい)美(うま)し乙女(おとめ)に会いぬ」その時、すかさず女神が答えて歌い「ワナウレシ(わあうれしい)美(うま)し男に会いき」と歌い和(やわ)して、天(ア)と地(ワ)を胞衣(えな)として国の再建に励みました。再統一なった島々の名は、最初はヤマトアキツス(大日本豊秋津島)で、次はアハヂシマ(淡路島)、次イヨ・アワ二名(ふたな、伊予・阿波二名島)、オキ三子(みつご、隠岐三子島)、ツクシ・キビノコ(筑紫島・吉備児島)、サド・ウシマ(佐渡島・大島)の大八島を再建しました。

 後に海や河の幸を生み、木の祖(オヤ)神のククノチ神、草の祖神のカヤノ姫、又ノズチの神も生成し終えると、ハラミ(蓬莱参)の宮にしばらくの間落ち着かれて、アワ歌の心をもって国を治めました。
 このように既に八洲(やしま)の国も生み終えて、あとはいかにして日継(ひつぎ)の君を生まんとの思いがやっとかなって、日の神が誕生しました。その神の御名を幼名ウヒルギと申し、この慶事を諸民こぞって称えました。国の隅々まで天の日が麗しく照り通り、君(キミ)、臣(トミ)、民の誰もが一緒に明るい未来への夢を共有していました。

 イサナギは我が子とはいえ、君の放つ神威と威光がただごとでないのを知り、「奇しき日(ひ)の霊(る)により生まれませる子を私物にはできない」と申され、天(高天原)に居られる豊受神の元に送り届けて、天下国家の貴人となるべく御柱道(みはしらのみち)を学ばせるため奉りました。
 この時この喜びを記念して日の神の御誕生になられたハラミ山をオオヒヤマ(太日山)と改名しました。
 御子を心からお迎えしたトヨケ神は良く考えた末に、元旦の若日とともに生まれました君にワカヒト(若仁)と真名(イミナ)を捧げました。

 この後、両神はツクシに御幸され、この地で生まれた子の真名(イミナ)をモチキネと名付け、称名(タタエナ)をツキヨミノ神と呼びました。ツクシは以前ツキスミの国ともいい、日の出とともに月の沈む隅の国の方角にあったからです。丁度月は太陽の光彩を受けて輝くように、日の神アマテルのお陰により輝く月として、日に次(つ)げと宮中に上げアマテル神を補佐させました。
 以前、穢(けが)れや禍(わざわ)いを祓うために川に流し捨てたヒルコ姫も、今は慈(いつく)しく成長され、天照神の妹神として宮に上がり、名もワカヒルメと変わって、花の下(もと)で母イサナミから歌を教わりつつ、静かで平和な時を過ごしていました。

 丁度花の季節の頃、ソサ国(現・和歌山)で末子として生まれたのが、真名(イミナ)ハナキネ、称名(タタエナ)ソサノオです。ソサノオは常に雄叫び泣きいざち、その悪行から国民(くにたみ)に多大な迷惑をかけて母イサナミを苦しめていました。イサナミは、息子ソサノオがこの様に荒れて世間に隈(くま・災い)をなすのも全ては自分の汚穢(おえ・穢れ)によるものと深く悩んだ末に、民に降りかかる災害の責任を全て我が身に引き受けて民を守るために、息子の厄を除く祈りからクマノ宮を建てました。
 このように御心を尽くしてお生みになったのが一姫三男神(ヒヒメミオガミ)で、このお子達により君、臣の道も再び確立されて子子孫孫までも国の平和が約束されました。

 なによりも尊い瓊(ト)の教えを守り、もしも諭(さと)してもなお逆らい戻(もと)る者があらば、断固として逆矛により制するこの偉大な二柱(ふたばしら)の産殿(うぶどの)は、天のハラミ(アマテル神)宮とツクバ山(ヒルコ姫)、アハジ(ヒヨルコ)、ツキスミ(ツキヨミ)、クマノ(ソサノオ)の五か所です。

終り

出典
ホツマツタエ(国立公文書館蔵)
秀真(ほつま)政傳紀(和仁估安聰訳述)
高畠 精二