富士山と不老長寿の仙薬
第一話 アマテル神の千代見草と西王母(ニシノハハカミ)
アマテル神の御心も天下くまなくゆきとおり、秋の稔りも年々増して民の生活も豊かに世はすべて事もなく移ろいました。こんなある日のことです。アマテル神は皇子(みこ)のクスヒを伴って、二見浦(フタミノウラ)の海岸に御幸されました。打ち寄せる荒潮を浴び、親子揃って禊を済ませました。クスヒは、ふと素朴な疑問を覚えて父に尋ねました。
「父御門(みかど)は、いつも八房御輿(やふさみこし、八角形の御輿)に乗られて行幸される日本一尊い神様なのにどうして禊をなさるのでしょうか。神様でもやっぱり穢れることもあるのですか」
こんな子供らしく微笑ましい質問にアマテル神はニッコリされると、傍の皇子と諸神に向かって静かに詔りされました。
「汝、ヌカタダ(クスヒの真名)よ、そして諸神も良く聞いておきなさい。本来の私は心身ともに無垢な玉子の様な姿でこの世に生まれました。御祖神(みおや)の御心の殻に固く守られていたので、一切の穢れや禍を受けませんでした。しかし大切な政を司る今日この頃は、次々と伝えてくる悪い訴えを糺し教えようと努めているうちに、いつしか耳も汚れてしまいました。時には鼻もちならない話を聞かされるに及び、間違いを戒めて諭そうと胸を痛めるうちに、いつの間にか身も心も汚れて疲れていました。
私は今、次々と押し寄せる潮(うしお)に身を沈めて心身ともに浄らかになって、元の太陽の霊の輪(ちのわ)に帰って再び神の形を取り戻しました」
君はここまで一気にお話をされると、並み居る諸神、諸民をゆっくり見回しました。
先程まで一心に記録を取っていた臣(とみ)や司、又、君の話を一言も聞き漏らすまいとシーンと聞き入っていた諸民の、感動の声声も消えて、今は唯、波の音だけがひときわ大きく聞こえていました。君は、皆の熱心さに促されるように再び急ぎ話を続けました。
「それでは、清く正しく美しい神の姿を保つための食べ物の話をしましょう。何よりも忌むべきは獣の肉を食べることです。実は四つ足の肉を嗜むと、一時は精が付くように思えても、身体の血が汚れ、やがては筋肉が縮んで病に犯され、苦しんで早死にしてしまいます。例えば、濁り水が乾き付くように、血や肉も汚れれば乾き付いて病のもとになります。先ず、新鮮な野菜をたくさんお食べなさい。すると、濁った血も太陽の様に、赤く透き通った輝きを取り戻し、ここ二見浦の潮のように力強い命を宿します。
いつも私は、臣(とみ)も民もへだてなく、天から授かった我が子の様に慈しみ、平和で豊かに、健康で長生きして欲しいと願い、天の神に祈るばかりです」
「諸民もこの話を良く聞いてください。食べ物の一番は何と言っても、お米に勝るものはありません。太陽と月の精を一杯含んだ幸い多き食べ物です。次に良いのは魚類です。三番目は鳥ですが、悪い精が付きすぎて病の元にもなり、あまりお進めできません。鳥や獣の肉を食べることは、あたかも灯火(ともしび)の火をかき起こして、油皿の油を早く燃やし切ってしまうようなものです。
精が勝ち過ぎると大切な命の油を減らすことになるからです。動物の肉を食べ続けると筋肉はこり縮んで空肥りして、逆に生命の油は減り、顔は痩せこけ、毛が抜け落ち、死して悪臭を放つことになります。
ある冬、スワの神からこんな訴えがありました。
「シナノは冬大層寒いのです。諸民は鳥や獣の肉を食べ寒さを凌いでおります。何とか大目に見て下さい」と。
私はスワの神に厳しく申しつけました。
「その間違った考えを改めなさい! 魚類の四十物(あいもの・合物)は四十種もあるではないか。魚を食べなさい。これとて食後三日間はスズナを食べて毒を消すべきです。今日唯今から鳥獣を食うのを戒めよ! 天下にあまねく触れよ!
たとえ自分の命はいらないなどと言っても、結局血が汚れれば、魂の緒(たまのお)が乱れて魂とシイが迷い苦しみ、長患いして、ついには巷で肉体(シイ)の苦痛に耐え兼ねて、鳥や獣の霊と求め合って、ついには鳥獣になってしまい、人として二度とこの世に帰れませんぞ。
人は本来、太陽と月の精霊の支配を受けて生きているものです。善行を積み、清く美しく長生きして自然体で死ぬことができればこそ、天はその意に応えてくれます。獣になるのを防ぎ、御霊(みたま)を天上のサゴクシロに届けてくれ、神々は新たに人間の命を与えてこの世に戻してくれます」
「実は、私が常に食している御食(みけ)は、千代見草(ちよみぐさ)です。この菜は世間一般の苦菜(にがな)の百倍も苦いものです。
この恐ろしく苦い御食(みけ)のお陰でこの様に長生きして、民の暮らしを豊かにしようと、日々国を治めてきました。私の歳は今年で二十四万才になりますが、未だ盛りのカキツバタの様に花やいでいます。これから先まだ百万年も長生きして、先の世を見届けるつもりです」
第二話 天孫ニニキネ(ニニギ)とハラミ草
「汝、クスヒよ、ココリ姫(白山姫)が、私に語ったことを良く聞いておきなさい。それは、むかし昔、この国の創造神クニトコタチが、この地球(クニタマ)の八方を巡狩した時、西方の地に行かれ、荒野を開拓して建国したクロソノツミテ国とは、現在の夏(カ)の国に相当し、ここを赤県神洲(アカガタシンシュウ・中国)といいます。
クニトコタチの一子、カのクニサッチをその国の国王にして、彼の地で生まれ即位したアカガタのトヨクンヌ以来代々国を治めてまいりました。しかし長い年月が経つうちに、人が人として守るべき「天なる道(あめなるみち)」も衰えて、遂に道も尽きてしまいました。
心配した一族出身のウケステメが我がネの国(北陸)に来朝して、タマキネ(伊勢外宮 祭神・豊受神)に師事します。良く仕え深く学ぶ一心さに感激したタマキネは、ココリ姫(白山姫)の義理の妹として姉妹関係を結ばせて、遂に神仙の秘法(ヤマノミチノク)を授与しました。
大変感謝し喜んで中国に帰国したウケステメは、その後、コロビン君(崑崙王・コンロンオウ)と結婚して、クロソノツモル皇子を生んで、ニシノハハカミ(西王母)となられました。
再び来朝したニシノハハカミが申すには、
「コロ山本国では、愚かにも動物の肉を食べていますので、皆早死にしてしまい、平均寿命はせいぜい百才か二百才程度です。毎日の肉食が命を縮めているのです。
私は、シナ国王が一族から輩出し即位した時、肉食の習慣を改めるよう進言しましたが今だにこの悪習は止みません。シナ国王はホウライの国の千代見草が欲しいと八方手をつくして、いつも徒労に終り、なんとか手に入れたいと未だに嘆き暮らしています」
と、訴えてきました。
私は、常に汚れた心身を禊して天道を守り、長寿を保ってきたことに感謝して、早死を恐れ悩むシナ国王に同情して奥義を授けました。
思ってもみなさい。命こそは身の宝ですぞ。この事を諺とすべきです。たとえ、一万人の憂えた国王が居たとしても、一人として命を代われる者はないのです」
天孫ニニキネは、ツクバのニハリの宮から遷都して、ここハラミ山(現・富士山)の麓にハラ宮を建てて、恋する妻のコノハナサクヤ姫ともども、秀でた真の政を執り、人呼んで、秀真国(ホツマノクニ)と称えられました。
この山の火口湖の名を子代池(コノシロイケ)と呼ぶようになりました。この由来は、コノハナサクヤ姫が、身の潔白を証明しようと三人の子供と一緒に空室(うつむろ)に籠って火を放ち自殺を計った時、子供達が熱さで苦しんでいるのを知った竜田姫(タツタヒメ)の神が、この山の池に棲む竜に代わって水を吹きかけ、母と三人の子を救い出したことから、この名が付けられました。
又、ある日ニニキネは、子代池の都鳥にラハ菜を投げ与えたところ、ラハナに鳥が戯れ遊ぶその様子を見て大変面白く思い、臣下のコモリに絵を描かせて、綾織物に織った模様が鳥襷文(とりだすきぶん)となりました。
ラハは、艾(もぐさ)や蕪葉(かぶろは)の様で、血を増して老いも若やぐと言い伝えられています。
この日、ハオ菜が君の御衣裳(みはも)に染まったままの姿で政(まつり)をきこしめされたところ、その年は例年になく稲の実りが厚く、豊作になりました。
このハオナを食べれば、千年の長寿を得るという言い伝えがあります。一般に若菜の中にも苦いものがありますが、このハオナは百倍も苦くて、千年も長生きできると解っていながら、民は一人も食べようとしません。その根の形は人間の身体の様でもあり、葉は嫁菜(よめな)に近い葉で、その花は八重咲きです。
又、ある日ニニキネは、北陸地方に巡狩に行かれました。北の峰で身体を冷やして腹を痛めて病んだことがありました。その折り、右大臣のコモリが君に参草(みくさ)を煎じてお進めして、腹痛を治しました。この参(み)とは、三種の薬草の総称でもあり、人参草(ひとみぐさ)もその一つです。人参草は小さな根をしていて薄黄色です。茎は一本で四つに枝分かれしてそれぞれ五葉で、人の身に似ていて、花は小白(こじろ)、秋には小豆(あずき)に似た実をつけて、味は甘苦くて、薬効は脾臓(ヨコシ)を潤し、肺病(ムネ)を療養(ひた)します。
現在、世に百種もの薬草がありますが、ハ・ラ・ミ三草(さんぞう)に勝る仙薬は他にありません。君はこの三草を誉めたたえてこの山の名をハラミ山と名付けました。
第三話 ヤマトフトニ(孝霊天皇)の富士登山と千代見草
ヤマトフトニの即位後、二十五年目の正月十二日の朝のことです。
信州スワの祝人(はふり)が都に上り、新春のお祝にハラミ山(富士山)の絵を献上しました。君はこの絵が大層気に入られて、秀麗な山容は天下無類と、霊峯ハラミ山を誉めたたえました。丁度その時、今度は淡海(オウミ)の白髭(シラヒゲ、現・白髭神社)の子孫のアメミカゲが、淡海(あわうみ)の絵を奉りました。君はこの山と湖が対をなした奇遇を大変面白く思われ二人にたくさんの贈り物をされました。
ある日のこと、君がカスガ親王(オキミ)・(人皇五代、孝昭天皇の皇子アメタラシヒコクニ)に申されるには、
「実は、私は昔一度このハラミ山の絵を見たことがあったが、立て長であまり良い絵とも思わず、これを捨ててしまった。今こうして偶然に、山と湖の絵合わせができたのは、割札(わりふだ)を符号したようで大変良い瑞兆であろう。ハラミの山の千代見草も、五百年前の噴火で焼け失せたと聞いていたが、もう草木の種も復活した兆しに違いない。この絵にある美しい淡海(オウミ)の湖が養分を蓄えて、ハラミの山を潤せば、千代を見るという千薬も生え出てきたに違いない」
と、大変ごきげんのようすでした。
それから早や十年が過ぎ、ある新春の十日のことです。
皇子(みこ)のモチキネを世嗣(よつぎ)御子に立て、立太子礼も無事終えて肩の荷をおろした君は、三月半ばいよいよ念願のハラミ山登山を決意して行幸(みゆき)されました。事前にお触れが発せられて、その行く道の整備もすでに完成しています。その行程は先ず、クロダの宮から御輿に乗ってカグヤマを目指して進み、カシオの神武天皇(カンヤマトイワワレヒコ)の陵(みささぎ)にお参りして後、山城(ヤマシロ・京都)の鴨神社に向かい、ここで天孫ニニキネと御祖天皇(みおやあまきみ・ウガヤフキアワセズ)の社に詣でた後、国の開拓神を祭る淡海(オウミ)の多賀神社に、にぎてを捧げました。木曽路を抜けてスワに行き、甲斐のサカオリ宮に入られました。
ここでは、タケヒテルが盛大な御饗(みあえ)を用意してお迎えいたしました。
早速、あくる日から高齢をおして登山に挑み、遂に山頂に立たれた君は、お鉢巡りもされて大八州(おおやしま)を巡り見、生涯一度の念願を果たされ感慨無量の様子でした。
下山はスバシリ口を一気に降りて、裾野を南回りに巡って梅大宮(ムメオオミヤ、現・浅間神社)にお着きになりました。宮でお待ちしていたカスガ親王(おきみ)は、君が旅の疲れをいやす間もなく、
「今度、山の峰で採ったこの御衣(ミハ)の綾草(アヤクサ)が、本当に千代見草でしょうか」と、聞きました。そこで、諸神が早速煮て食べようと試みましたが、苦くて苦くて結局誰もまともに食べる者はいませんでした。
ハラミ山の中峯(なかみね)は、ひときわ高くそびえたって雪をいただき、丁度深い淡海(あわうみ)に対比することができます。昔のハラミ山には裾野に八湖海(ヤツウミ)がありましたが、前回の大噴火で三つが埋ってしまいました。溶岩の流出で焼けたとはいえ、未だに火口湖の子代池(このしろいけ)は、天孫ニニキネ時代の昔のままの姿で残っていました。
神代(かみよ)の時代の物語に思いをはせた君は、この喜びを御製(みつくり)の歌にされました。
この歌を詠まれた後に、君はこの栄えある登山を記念して、この山に新しい名を付けようと思された丁度その時、田子(タゴ)の浦人が君の御前に進み出て、一抱えの咲き誇った藤の花を奉りました。
この藤を捧げた縁りに想(そう)を得た君は、新しい山の名を織り込んだ秀歌(しゅうか)を詠まれました。
この歌により、その後ハラミ山の名をフジの山と讚えるようになりました。
終り
- 出典
- ホツマツタエ(国立公文書館蔵)
秀真(ほつま)政傳紀(和仁估安聰訳述)
- 訳
- 高畠 精二